私のキャリア形成 ~パラレルキャリア的生活~ その3

厚生労働省 職業能力開発局 能力開発課長
波積 大樹様

(2017年5月掲載)

平成29年3月11日(土)、中野サンプラザにて『私のキャリア形成 ~パラレルキャリア的生活~』と題した講演会を開催いたしました。
本講演会は、平成28年度 キャリア形成支援シンポジウム(第一部 講演会、第二部 第27回 優良講座優秀者表彰式、第三部 第27回 優良講座優秀者表彰式交流会)内にて行われ、100名を超える方にご出席頂きました。今回は、 厚生労働省 職業能力開発局 能力開発課長の波積 大樹様をお招きし、キャリアの築き方や能力開発行政から見た、働き方改革の方向性ついて、お話をお伺いしました。
3回に分けて掲載をいたします。本ページは、3回目です。

(4)好きなこと、楽しめることの「再発見」:外部の友人達とのつながり

このように組織の中だけでは、自分が求めているような感動、感情は味わえないなと思ったのが、働いて10年近い年月が経った頃でした。ただ、10年目前後というのは、僕にとって、不思議な出会いの時期になりました。

この時期は、必至に仕事だけをしている時と異なり、少しだけ自分のことを考える時間もできるようになった時代でした。時に泊まり込みの仕事もありますが、土日に騒ぐ元気が残っているぐらいの働き方、割と早い時間に、家に帰れるようにもなっていました。

特に、8年目頃に、農水省から、阪神・淡路復興対策本部事務局に出向したことが、自分の人生にとっての大きな転機となりました。事務局は地震からの復興のため、関係各省庁、地方自治体、民間企業からの出向者が集まる、寄り合い所帯です。これまで付き合ったことがない業界の人たちの姿も、垣間見られます。新しい出会いの予感です。

中でも、一番大きかったのは、当時リクルートにいた前川孝雄さんとの出会いでした。元リクナビ等の編集長、現在は青山学院大学兼任講師などの立場で、様々な講演活動も行っています。彼と、彼の友人達との付き合いは、リクルート流というのでしょうか、お祭り騒ぎで、良い意味で「ちょっと頭が悪い」けど「楽しい時間」でした。前川さんが、最新刊の著書の中で、私と同じような気持ち、仲間との出会いの場が、閉塞感を打破するきっかけになる場となったと書いており、嬉しい気持ちになりました。

この時期、私自身は、公私ともに少し大変な時代だったので、私だけが、そう感じていたのかと思っていたのですが、実はそうではなかった、彼とも同じ気持ちだったのだということを、その著書のおかげで、確認できました。

私自身、知らない方と出会うこと、話すこと、ともに大好きですから、この1999年から2005年の間、友達の数が500人は増えたのではないかと思います。その時に、ああ、自分が好きなのは、これだなと思ったのですね。色々な方と出会う場、話す場、お祭り騒ぎが出来るような場にいたい、できれば自分で作り出してみたい。それが、10年目の好きなことの再発見だったのかと思います。

その際、色々な方と知り合うと行っても、私が向かっていった対象は、所謂、社会的な意味で偉い人達ではありません。ほぼ同年代で、職場は異なりますが、同じような組織内での立場にいて、悩みながら仕事をしていた、そんな友人達でした。当時の彼ら、彼女らは、組織中で、あるいは社会的な位置づけにおいて、私同様、余り偉くない同士でしたが、段々偉くなったり、業界で力を持ったりして、現在につながっていきます。

(5)落語との「再会」:不遇と思ったときがチャンス?

そんな前川さんのグループで知り合いになった友人の一人が、今日も会場にこっそりときてもらっていますが、私と同い年の落語家、三遊亭楽麻呂師匠です。初対面から、非常に気が合いました。確か、彼はお酒の方はダメなのですが、3週間連続で、新宿あたりで徹夜で語り合った、そんなこともありました。

ほぼ、20年前のことです。既に楽麻呂師匠は、仲の良い落語家さんとの三人会や、独演会を行っており、当時は確か、リクルートの前川さん達が、落語会の後の懇親会の幹事をしていました。自分としては、好きだった落語と、こんな形で「再会」することもあるのかと、不思議な気分です。とはいえ、懇親会は、他の皆さんが仕切っているので、最初は、お客さん的に、彼の落語の席に、年数回程度通うような関係でした。まあ、これはこれで気が楽でいいのですが、これも気がつくと、何故か私が、人集め面での幹事的な役割をするようになっていました。

そういえば、大学生時代も、人がびっくりするほど人を集めて、高校の文化祭実行委員会のOB会などを仕切っていました。私がいるといないとでは、人の集まり方が倍以上違うと言われたこともありました。師匠の会で人集め担当のようになっていたこの頃、自分でも段々気がついてはいたのですが、私、人集めることについては割と「適性」があるようなのです。人と会って楽しいことをするのが好きという「主観的な気持ち」と、人を集めるのが割と得意という自分では余り自覚していなかった「適性」が、この頃から合わさって「開花」して来たのかも知れません。

その後、私がモスクワに赴任していた時も、自宅でパーティを開き、ロシア人、日本人を問わず、3年間で700人前後の人を自宅に招いたのですが、これも、そんな適性が発揮されていたからかもしれません。

また、同じモスクワ時代、2009年と2010年には、二年連続で、樂麻呂師匠にモスクワに来てもらい、10回前後、落語の公演をしてもらいました。ロシア人向けには、通訳を入れて、逐次通訳形式で行ったのですが、これ、受けなさそうに思いますよね?これが意外に受けるんです。師匠は、「通訳がいいから」って言うのですけれども、私から見る感じでは通訳の方が変わっても、関係なく受けています。最初は、違和感があるのですが、プロの落語家ですから、まず感情が伝わる。我々と違って顔の表情がいいし、声の抑揚もあるから、先に気持ちが伝わって、後から意味が追いかけてくる。結構いけるんです。師匠に、「当時よくこんな突飛なこと考えてやったよね」と言いましたら、師匠からは「考えたのは、波積ちゃんだよ!」と言われまして…そんなことも忘れていました。また、師匠とは、「色々な国で、こういった公演を、一生できたらいいねえ~」などと、話していましたが、当時の気持ちとしては、夢物語でした。

ところで、これ、実は昨年、実現できてしまいました。私が言い出しっぺらしいのですが(笑)、クロアチア、モンテネグロ、セルビアに行きまして5回公演を行いました。私も、年次有給休暇をしっかり取って、海外旅行の許可も取って、公演の一部だけですが、師匠のサポートに行ってきました。このとき、あれ?やりたいと思ったこと、意外に大きなことが、個人で出来ることもあるんだなあと思いました。

大学卒業間際、急ごしらえとはいえ、落語担当のディレクターをやりたいと思ったけどなれませんでしたが、20年以上経ったら、仕事でもないのに、プロデューサー的なこと、似たようなことをやっていたのは、本当に不思議な体験でした。実は、来年も海外でやろうという話も出ているところです。

自分としては、仕事とプライベートの関係、去年の今ぐらいの時期までは、このままでいいやと思っていました。いいバランスだと。このまま、仕事とプライベートは別物として、それぞれ楽しんでいこうと思っていました。

(6)好きなことと仕事とが「リンク」してくる「不思議」

そして、ほぼ1年半前、厚生労働省の能力開発課という職場に移って来ました。皆さん方と今日出会えたのもそのお陰ですが、当時の気分としては、特に好きではない、普通に感じられる「仕事」をやるのもいいなという感覚です。そもそも、全く知らない仕事でしたので、好きも嫌いもないということです。とはいえ、実際に仕事をしてみると、いい仕事なんですね。離職された方、高校を卒業した方、障害者の方、あるいは中小企業に在職されている方、色々な方々が、能力をつけて、ステップアップしていくことをサポートする仕事は、本当に素晴らしい。すごくいい仕事ということで、今は、すっかり好きになっていますが、最初は、本当に自分にとっては「普通」の仕事でした。

ただ、異動当初は、普通の仕事もいいなあと言う気分の一方、なんで自分がこのポストに来て、この仕事をするんだろうと思っていたのも事実です。自分にとって普通の仕事であるだけに、余計に、仕事とプライベートは切り離して、新しい仕事はしっかりとこなしながらも、プライベートでは、自分の好きなことを好きな気分でやっていこう!そう思っていたのです。ところが、ここに来て、プライベートと仕事がリンクしてきたのでした。

世の中、不思議なことが沢山あります。働き始めて10年目前後から、自分の中で、仕事とプライベートを切り離して、プライベートの場所では好きなことを空気も読まずにやっていこうと思っていたら、気がつくと、色々な分野の友達ができて、色々な業界に知っている人がいるが散らばっているような状態になりました。おそらく、1000人は超えているでしょう。それが最近の私のプライベート空間です。すると、ぽつぽつと、その中から、仕事とも関係がある人が出てきたり、新たに仕事と関係するようになったりしてきました。

1つは、映画関係者でした。厚生労働省に来て半年程度、まさに去年の今くらいの時期に、六本木の知り合いの弁護士さんが経営するお店で、偶然、青白い青年に会いました。その青年が映画監督の犬童一利さん、「つむぐもの」という映画を監督した方だった。石倉三郎さんが初主演。最近テレビでも活躍している吉岡里帆さんも重要な役所で登場しています。介護をテーマとしており、厚生労働省ともタイアップしている映画でした。実は、現在の仕事では介護の人材育成も担当しているということで、友人だけでなく職場でも広く周知したところ、私関係だけでも100人以上の友人知人に観ていただくことが出来ました。

私自身も、既に犬童監督の個人応援団の気持ちですので、全国各地での監督の舞台挨拶、介護施設でのワークショップに、時間が許す限り参加しています。結果、監督には、将来的は、職業訓練やハローワークも映画のテーマにできるかも?とも考えていただけているようです。また、監督関連の映画関係者だけでなく、気がついたら、介護業界にも、親しくお話し出来る友人知人が広がっていました。気がついたら、プライベートな空間が、徐々に仕事空間に浸食してきた瞬間でした。

2番目は、「ハロートレーニング」です。配付資料の中に、「公的職業訓練の愛称・キャッチフレーズが決まりました!」というプレスリリースがあるかと思います。
(参照:http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000144434.html

ここにもあるとおり、去年の11月30日に、公的職業訓練の愛称・キャッチフレーズが「ハロートレーニング ~急がば学べ~」に決まりました。選定委員ですが、委員長は作詞家の秋元康先生にしていただき、今野浩一郎学習院大学教授、俳人の神野紗希先生、落語家の三遊亭円楽師匠の四方に委員をお願いしました。

このうち、労働行政を熟知する専門家・重鎮である今野教授以外の委員は、主に2000年前後に知り合った20年来の友人経由でお願いしたものでした。実はこれまで、僕の気持ちを楽にしてくれたプライベートの友人達、仕事関係でお願いできることは分かっていたとしても、実際にお願いごとをしたことはありませんでした。昨年の5月頃は、できれば、プライベートの伝手は使いたくないなあと言うのが、私の本心でした。

とはいえ、国の制度に「愛称・キャッチフレーズ」をつけるのは大きな仕事です。過去の先輩達も考えた構想ではないかと思いますが、偶然にも、私は、実際に実現する現場に、居合わせてしまったのでした。ちなみに、ハローワーク選定時の事実上の委員長は。コピーライターの糸井重里さん。今、それに見合う人と言えば…そうです、秋元康先生しか考えられませんでした。が…多くの方は、無理だろうと考えていました。夢物語です。

ただ、こんな時、偶然にも、私の知人の中に、秋元先生に近い方がいたのです。おそるおそるお願いしたところ、快諾!その後も眠れない夜も多々ありましたが、御快諾いただいた瞬間、私はこのプロジェクトには、間違いなく「魂」が入るものと確信しました。

また、これ以外にも「言葉のプロ」と言える人たちに委員として入っていただきたいと思いました。そして、俳人の神野紗希先生は、俳句界につながるルートを持った友人から、圓樂師匠は、もちろん圓樂党の一員である楽麻呂師匠から委員就任をお願いし、御快諾をいただいたものです。自分の個人的な伝手を使うことに戸惑いを覚えながらも、11月30日のマスコミの皆さんに集まっていただいた公表会が終わった後は、これもありなのかなと思いました。「ハロートレーニング」を選ぶとき、偶然ここにいて、導かれるようにやっていたのかもと。個人的な伝手を乱用するつもりはありませんが、なんだか一皮むけた気分になったのでした。

そもそも、自分はお祭り男だったはずです。自分の親元では余りできていませんでしたが、厚生労働省で、何故か自分が好むような不思議なことができました。今、自分の中で、偶然そうなってしまった。あっ、こんなことがあるんだ、と思いました。

おそらく私自身の人生に対する姿勢と、仕事で身に着けたキャリアとを長く続けていくと、それが別のものであったとしても、いつか一つになるんだなぁとも思ったのでした。

4 能力開発行政から見た、働き方改革の方向性~

もう時間がないので、働き方改革の話、最後にわずかながらでも御紹介したいと思います。私が業務として担当しております「人材育成」は、「働き方改革」の重要な柱であります。

まず、今、ハロートレーニングは、基本的には、うまく機能していると思います。今は好景気で、求人倍率も高い状態です。多くの方は希望した職種に就職できているでしょう。しかし、就職ができない、元の職場に戻りたくても戻れない方がいます。あるいは、中小企業の中には、労働者のスキルアップのため、あるいは生産性向上のために、職業訓練を強化しようと思っても、うまくできていない企業ガあります。

そのための対策のポイント、私のいる能力開発課関連では、3つあります。

1つは、出産等で家庭に入られた女性の方、資格を持っているけれども戻れない方々への対策としての、リカレント教育です。再度働き始めるために必要な最新の技術等を身につけるための訓練、それが第一の柱です。

2つ目は、中々就職ができていない方に対する対策です。就職に当たっては、IT等の資格獲得が有効ですが、これには時間を要します。このため、1~2年の長期訓練を拡充することで対応します。

3つ目は、中小企業の在職者訓練への対策の強化です。現在の制度では、在職者訓練はものづくり、特に技能系の訓練が中心となっています。しかし、実際に中小企業で困っているのは、技能だけではありません。売り方をどうしようかとか、生産から販売までの仕組みをどのように効率的にしようかとか、より経営に近い部分でも悩んでおられます。在職者訓練を抜本的に強化とありますが、この部分へのテコ入れを意味しています。

従前の制度では、十分な対応できていない部分に、対策を講じることで、一億総活躍、働き方改革を推進していくということが、我々の課題であり、これから実行していこうとしている政策であります。また、それ以外の、職業能力開発局関連の新規施策も、配付資料にはまとめて掲載しておりますので、後でご覧頂ければと存じます。

5 おわりに

最後は、駆け足で、時間も若干オーバーしてしまい、失礼いたしました。

まとめになるかどうか分かりませんが、結局のところ、これまでの私は、仕事は仕事で出来る範囲で頑張りますが、プライベートな空間も大事にして、かなり好きなように生きてきたと思います。仕事とプライベートは全く別物の空間にありました。それなのに、その交わるはずのない2つの空間が一緒になってしまったのは、繰り返しになりますが、本当に不思議なことです。時に面白い偶然が起きてしまうものだと思います。

そもそも、農林水産行政に携わるつもりで就職した私が、能力開発行政の現場で働き、皆さん方の前で講演をしていること自体が、本当に不思議です。

プライベートと仕事とが一緒になるとどうなるのか、これから先に何があるのか、(あるいは私のエゴグラムは、さらにどう変化するのか?(笑))は全く分かりませんが、今後とも、基本的に前向きな気持ちで、生きていきたいと思いますし、個人的にも、これからの自分がどうなるのかが、楽しみです。

私には人集めの適性があるかも知れません。が、それ以上に、特に最近、私自身が強く感じるのは、自分の好きな人たちが結びつき、よりよく生きていける状態を作り出すような、そんなネットワークづくりに貢献したいという「思い」です。その意味でも、この講演の場でお会いした皆さん方とも、将来、何か楽しいことが、できればと思います。

なお、今回の講演の準備を通じて、私は、私自身を、より深く、より正確に、理解できるようになりました。このような機会を与えて頂いた、全国産業人能力開発団体連合会の役員の皆様方、事務局の皆様方に、改めて感謝申し上げます。

最後に、今日の私の話が、皆様方のキャリア生活の上で、少しでもお役に立てればと思います。本日はご静聴、ありがとうございました。

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講演者プロフィール

昭和57年3月 埼玉県立浦和高校卒業
平成2 年3月 東京大学法学部卒業
4月 農林水産省入省、林野庁に配属
その後、
・農林水産省勤務  (担当業務:米価決定、食糧管理法改正、商品取引所法改正、 種苗業界対応、農協改革、農地制度改革、技術開発など)
・地方勤務(熊本県御船町役場、関東農政局)
・他省庁勤務 (阪神・淡路復興対策本部事務局、総合規制改革会議事務局、
在ロシア日本国大使館(モスクワ勤務)、 公害等調整委員会事務局など)
の業務を経て、
平成27年9月 厚生労働省職業能力開発局能力開発課長