成功するキャリアの作り方 ~脚本家へのキャリアチェンジを振り返る

脚本家 坂口理子 様



(2014年3月掲載)

平成26年1月21日(火)、中野サンプラザ 11階アネモルームにて「平成25年度 第3回 能力開発カレッジ」が開催致しました。
スタジオジブリ「かぐや姫の物語」等、テレビ・映画の脚本家として活躍中の坂口理子さんと、キャリアカウンセラーの野々垣みどりさんをお招きし、会社員から脚本家に転身するまでの経緯を主軸に、脚本家として活動する中での体験談をお話しいただく講演の模様をレポートいたします。

会社員から脚本家への転身、そして『かぐや姫の物語』への参加


私の略歴ですが、大学時代は早稲田大学第一文学部演劇専修で演劇の概論などを学びました。
卒業後はNHKの外郭団体であるNHKエンタープライズというNHK関連のDVDやソフトを制作・販売する会社に入社し、6年間いわゆるOLとして勤務しました。

のちに会社を辞め、シナリオ・センターに通学し、そこから脚本家を目指すようになります。
最初に採用されオンエアになったドラマは『おシャシャのシャン!』(2008年)でした。
これは、放送作家協会が主催しているコンクールの受賞作品です。
1位をとるとNHKがドラマを制作してくれるというありがたい脚本コンクールで、運よく最優秀賞をいただくことができました。

その後はフジテレビの『私が恋愛できない理由』(2011年共同脚本)、これは香里奈さんが主演でした。
自分に近いところにヒロインを持ってこようと、(自身が大学時代に経験のある)舞台照明の人を主人公にしてみました。
そして『向田邦子 イノセント~愛という字~』(2012年)、『結婚しない』(2012年共同脚本)などを手がけました。

また、2009年からは『かぐや姫の物語』というスタジオジブリのアニメーションに、高畑勲監督との共同脚本で参加させていただきました。
現在、ここ3、4年の話ですがテレビドラマや映画、舞台の脚本のお仕事をいただき、小説などにも少し手を出しています。
本当にまだまだ途上というところです。

2009年から参加した『かぐや姫の物語』を振り返ると、構想8年といわれているこの作品で私が執筆をさせていただいた期間は3ヶ月でした。
ただ、その3ヶ月間は非常に濃密な時間でした。

きっかけは、先ほどご紹介したドラマ『おシャシャのシャン!』です。
たった43分、ある日NHKでオンエアされたものをたまたま高畑監督がご覧になっていて、「この人どうだろうか」ということに。
シナリオ・センター出身ということで事務局に電話が入り、そこから私に話がつながりました。

最初の1ヶ月くらいは高畑監督のお宅にお邪魔して、昔のアニメの話から、絵巻物の話からいろいろな話をしました。
それが『かぐや姫』につながるのかどうか、わからないまま。
奥さまのおいしい手料理をいただいたり、お散歩したり、構想を練るといえば聞こえはいいのですけれど、楽しいおしゃべりの時間でしたね。

脚本を書く段階では、高畑さんの中の「こういうものを作りたい」というアウトプットを私が自分の中にインプットして持ち帰って、それを文字で書きだし、何度もすり合わせをしていきました。

私は本当に楽しかったという感想しかありません。高畑さんはもう本当に、知の巨人です。もう絶対に太刀打ちできない。
高畑さんの知の海に気持ち良く溺れて帰ってくるような、本当に楽しい幸せな時間。
仕事でありながら、なんて幸せなのだろうと思いながらやっていました。
なので、苦しいことが全くないうちに3ヶ月が過ぎてしまいました。
脚本の核の部分がその3ヶ月でできてしまったというのは、皆さん驚かれますね。

脚本家へのキャリアチェンジ:スクールで身に付けたこととは?

脚本家を目指した理由の一つは、もともと舞台や演劇が大好きで、興味があったこと。
大学時代に舞台美術研究会という照明や舞台装置など、舞台の裏方ばかりをやるサークルに属して、スタッフの味をしめたというのもあります。

NHKエンタープライズに就職して映像を専門に扱う会社であらすじやDVD特典を考えるうちに、もともと好きだった演劇と社会人になり、仕事としてやるようになった映像がつながり、その二つに共通する脚本を書きたいと思うようになりました。
後から考えてみれば自然な流れだったのかもしれません。

とにかく会社を辞めようと決意して、まずはスクールに入ろうと考えました。
というのも、脚本には文法があり、普通の文章とは少しルールが違います。
それを習うため、シナリオ・センターの門を叩いたのです。

最初の講義で、今でも覚えている言葉があります。
講師の先生が言った
「私たちは発想とかアイデアとか才能とか、そういったものは教えられません。
教えられるのはテクニックです。
ただ、テクニックだけはしっかり教えますので皆さん身に付けてください」という言葉。
それはすんなりと自分の腑に落ちました。
それを学びに来たという思いもあり、最後まで受講を続けられました。

スクールの講義でとくに為になったのは、ある種の縛りを与えられて書くことです。
例えば「男と女」をテーマに何枚以内で書きなさいといったような。
「男と女、苦手なんだよな」と思っていても書かなければならない、一つの制約を与えられて書くというのが非常に勉強になりました。

もう一つ、これも後から知らないうちに身に付いていたと思うのが、とにかく書き続けるという力。
書くためのマラソン力であり、常にコンスタントに書ける「地の力」が身に付きました。

そして、自分が書いたものを同じ受講生に発表する講座で得られたのは、他の人がどう捉えるかという客観性。
さらに、志を同じくする仲間たちの存在が心を強く支えてくれました。
これらはスクールに通わなければ得られなかったものではないでしょうか。

仕事の獲得については、さまざまな脚本家がいると思います。
積極的に企画を持ち込んでいる方もいらっしゃいますが、私の場合は基本的には受注する側です。
知り合ったプロデューサーなどから「こういう企画があるのですが、どうですか書いてみませんか?」と依頼を受けるケースが多いです。
同じように人の紹介や、以前受けた仕事の人間関係から生まれることも多くあります。
非常にアナログなところで仕事は生まれていますね。

仕事を生み出すには、自分のやりたいことを常にアウトプットするのも大事です。
自分を知って貰わないと、次にはつながりませんから。

私は今、小説を手がけています。いつか自分の小説を原作に、自ら脚本にして映像や舞台作品に仕上げたい。

アナログな関係が仕事を生み出す:仕事獲得の方程式

野々垣 資格のスクールに通いましても、皆さん最終的に関心があるところというのは、ずばり「食べていけるの?」というのが一番なのではないかと思います。
先ほど、仕事をどうやって獲得しているかという話で、「基本的には受注する側」だとおっしゃっていましたが、その辺りを今一度お聞きしてもよろしいでしょうか?

坂口 はい。これは本当に私の場合ですけれど、コンクールで受賞したときに知り合ったプロデューサー、ディレクターの方から「次こんな企画があるのだけれど、どうだろうか」というお話をいただいたことがあります。
また、いくつかのコンクールでは受賞者と最終選考に残った人を集めてワークショップをやったりしますね。
その中で知り合った方からお声をかけていただいて、という形が多いです。

野々垣 その場で関係性を結べるかどうかが、その後の展開に影響してくるのではないかと思うのですけれども。その辺りはいかがですか?

坂口 先ほどアナログと申し上げたのですが、テレビや映像の作り方は非常にアナログだと思います。
人と人との関係で、この人とは相性が合うとか、この人とは面白いものができそうだという感覚で繋がっていきます。

野々垣 その相性は、どういった場面で判断するのですか?

坂口 やはり話をしていて、共感するところが同じかどうかですね。
「この人とは感覚が似ているかもしれない」と思える人とは、どんどんと話が広がっていきます。

野々垣 そういったお話はフォーマルな場でされるのですか?

坂口 逆に馬鹿話とか雑談とか、飲みに行って飲んでいる場で話をしています。
前時代的な感じですね。お見合いのような感じで見つけていくのが多いですね。

野々垣 お見合いですか。

坂口 「この人とならやっていけそう」というような感覚はお見合いに近いかなと思っています。
打ち合わせと称しながら、ほとんど無駄話していたりもするのですが。
そこで「この人と話が合ったよな」という記憶がどこかにあると、次に繋がることもありますね。

野々垣 最近のご経験で、「食べていける」という話に繋がりそうな種はありましたか?
馬鹿話していたものが繋がったとか。

坂口 テトラクロマットという昨年の7月に立ち上げた演劇プロジェクトが形になったのは、まさにそういう繋がりですね。
もともと仲が良かった演出家や俳優と「何かやりたいね」と話していて、「私、こんなのを考えているんだけどさ」「いいじゃんいいじゃん、やろうよ」が始まりでした。

野々垣 あえて馬鹿話からということでお聞きしたのは、繋がったものの背景には馬鹿話で終わったものが山ほどあるように思うからです。
馬鹿話が馬鹿話で終わって、実現に向かわなかったものと、今回の舞台の話のように実現に転じていったものとでは、何がどう違ったと思いますか?

坂口 私が受注する側が多いというのも、そこに起因していると思うのですが。
私は何かをプロデュースする能力が全くゼロなので、舞台に関して言えば演出家の方がプロデュース能力の高い方で「まず劇場を押さえたよ」と。
「え、押さえちゃったんですか?」というところから始まりました。
行動を引っ張っていく人。
リーダーシップのある人との出会いは大きいと思いますね。

好奇心旺盛なインプットがアウトプットに繋がる好循環

野々垣 やはりお話を伺っていると、一つのものに留まらず、好奇心を持って繋がっていくことを楽しんでいるという印象を受けました。
そういった姿勢が、いろいろなアイデアの創出にも繋がっていくのですね。

坂口 そうですね。特に自分が何をやりたいかについては人に話すようにしています。
やはり自分を知って貰わないと次に繋がらないというのもありますし。

野々垣 自分の中にあるものを伝えるときに「こんなことを言ったら馬鹿にされてしまうかも」とか引っ込めてしまうことはありますか?

坂口 この人がこういうことをやりたいと言っているのに、それとは違うこの案を出すべきかどうか悩むことはあります。
でも結局、出してしまいますね。

野々垣 そういう案を出すということは、坂口さんにとってどんな意味があるのでしょう。

坂口 やりたい案を出さずに我慢して書いていても、結局いいものができないということを、何回かの経験の中で思っているので。
逆に出してダメなら仕方がないと諦められる。
いつのころからか開き直ったような気がします。

野々垣 開き直ったきっかけって思い出せます?

坂口 そうしないで完成したものが、自分としては作品に対しても、見てくれる人に対しても「申し訳ないな」と思ってしまうものだったときですね。
非常に痛恨の極みというか、自身の至らなさを、まざまざと見せつけられた気がしました。

野々垣 そういった経験があったからこそ、やりたい案を伝えた方がいいものができるという考えに繋がっているのですね。

お話を伺って個人的に思ったことがあります。
脚本家というアウトプットする仕事というのは、膨大な好奇心をもってインプットをしていかないと枯渇してしまうのではないかと感じました。
脚本家の資質が一つあるとしたら、やはりどんどん人に会って、どんどん自分の中にくぐらせて、自分の中の何かと繋げてそれを外に出せること。
そして、好奇心が旺盛であることが必要だと感じました。
本日はありがとうございました。

坂口 ありがとうございました。

講演者プロフィール

脚本家 坂口理子 様

早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。
NHKエンタープライズを経て、脚本学校のシナリオ・センターに通う。
2006年、『よいお年を』でテレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞優秀賞、『おシャシャのシャン!』で第31回創作テレビドラマ大賞(日本放送作家協会主催)最優秀賞を受賞。
2011年、フジテレビ「月9」枠『私が恋愛できない理由』の脚本を担当(山崎宇子との共同脚本)。
2012年には同じく山崎宇子とのコンビでフジテレビ「木10」枠の連続ドラマ『結婚しない』の脚本を担当した。
2013年11月には高畑勲監督との共同脚本、「かぐや姫の物語」が公開された。また、「かぐや姫の物語」のノベライズも手掛けた。(角川書店より発売)

ファシリテーター:キャリアカウンセラー 野々垣みどり 様